魂が消えるということ

スピリチュアルではありません。

 

小学生のある日

 

国語の授業中に、僕たちは類義語を習った。

もちろん先生は、小学生相手に類義語なんて言葉は使わない。

ひと=にんげん、トイレ=お手洗い、、、

幾つかの例と一緒に、

「同じ意味の言葉を書いて来てね」という宿題を出した。

 

まだ英語を習っておらず、語彙も少ない僕は

ちょっと苦戦しつつも、なんとか全マス埋めてきて、

翌日、答え合わせを迎えた。

 

といってもやはり、小学生の知っている言葉なんてたかが知れている。

今の自分のように、人と同じ回答じゃ目立てない! なんて

ブクマカみたいな発想もしないから、

多少のバリエーションはありつつも

なんとなくみんな同じような答えを書いて来ていて、

大概の問題でクラスの意見は一致した。

 

そして何問目だったか、

「驚く」と同じ意味の言葉を聞かれて、僕と僕たちは「びっくり」と答えた。

これは簡単だった。

小学生なら、驚くより、びっくりの方が良く使うわけだし。

びっくり、びっくり、びっくりびっくりびっくり。

みんながびっくりと回答しても、僕はびっくりしなかった。 

 

その中で、1人の女の子だけが「たまげる」と答えた。

それは、とても意外な回答だったが、 僕はたまげなかった。

ただその素っ頓狂な響きを、おかしく思って笑ったのだ。

 

僕の町は田舎の県の田舎の町で、

でも国語の授業は、そんなこと関係なく、「日本全国」だった。

教科書は他地域と共通で、先生のしゃべり方もどことなく余所行きに感じた。

そんな全国区の舞台に

たまげるという、

近くのおじさんが使っていそうな

僕らのローカルヒーローみたいなワードが飛び出したのだから、

これは大変に愉快だった。

クラスのみんなも同じで、教室は爆笑に包まれた。

先生も少し笑っていたし、言った女の子自身も笑っていたような気がする。

あのとき、先生は果たして最後、どのような言葉で授業を締めたのだったか。

 

たまげるが方言でも何でもない言葉だと知ったのは、

それから10年よりもずっと後、東京へ出てきてからの事だった。

僕は、1人、ちょっとだけ驚いた。

 

この話に教訓はない

 

そう、この話に教訓はない。

 

なにせ、小学校の低学年の話だ。

「自分だけが正解だと思ってはいけない」とか、

「異質なものを拒んではいけない」とか、

いまなら何かしらこじつけ出来なくもないが、まあ、意味がないだろう。

 

ただ、今もときどき何となく、あの場面を思い出すというだけだ。

 

さらに遡って、

 

ところで、

思い返せば僕ももちろん、少数派に立った経験はたくさんある。

一番古い記憶は、さらにさかのぼって保育園の時だ。

 

ツバメ組が、

「1+5はイチゴ」派と「1+5は15」派に分かれて戦った時、

ちょっとおませだった僕は、

レジスタンスよろしく、1人「1+5=6」派として戦った。

意味はよく分かってなかったはずだ。

たぶん誰か大人から答えを聞いて、繰り返していたのだろう。

数分後、僕は屈した。

抵抗できるわけもない。

だって、ちゃんと計算して答えを出していたわけではないのだもの。

1日後、勝負は

最大派閥である「1+5は15」派の勝利で幕を閉じた。

 

教訓

 

数の力はずるい。